叶えたい夢がある。

 

 

僕にはどうしても叶えたい夢がある。

 

それは、音楽で皆を幸せにする、ということだ。

 

ああ、なるほど、プロの音楽家になるんだ?

いいえ。

ちなみに筆者はまだガチガチのサラリーマン2年目。

そんな僕にだって叶う夢がある。

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♦Contents♦

Story➀~音楽に染まった20年~

Story➁~サラリーマンが描く音楽人としての未来~

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Story➀~音楽に染まった20年~

 

僕が音楽と出会ったのは、4歳のとき。近所にたまたまヤマハ音楽教室があったので、親に連れられてエレクトーンという楽器を習い始めたのが原点だった。 

 

もちろん、最初から楽器に興味があったわけではなく、レッスンに行くのもおっくうだったらしい。だが、気づけば楽器経験は20年以上に。

 

                 なぜか?

 

はじめてエレクトーンで発表会に出て、家族や人前で弾いたときに客席から割れんばかりの拍手をもらい、終わってから家族に「上手くなったね!がんばったね!」と、まるで自分事のように喜んでくれた。

このとき「自分の音楽が人に受け入れられて、喜ばれた」という、何か大きなことをやってのけた気になって、純粋に「音楽ってめっちゃ楽しい、人に喜ばれるのってめっちゃ気持てぃ~」って感じた。 

 

ここから僕はエレクトーンを高校卒業まで15年くらい続け、コンクールに出たり、資格試験を受けたりしてきた。その影響もあって、小学校卒業時には「ほかの楽器もやってみたい!」と考えるようになり、中高では吹奏楽に入ってトランペット漬けの生活を送っていた。 

 

エレクトーン歴も長くなり、コンクールでも毎年入賞するなど自分に自信がつき、作曲や編曲もするようになり、これを大人になってもできたらいいかな、とその時はなんとなく思っていた。 

 

 

そして迎えた高校進学。僕にはもちろん普通科に進んで大学進学という道と、音楽科も 

あったので音楽科から音大へ行く道と、2つの道があった。 

 

進路のことを家族と話合ったとき、両親から出た言葉は意外なものだった。 

 

「高校は普通科で勉強して、普通の大学で勉強しなさい、音楽だけでは将来食べていけないから。」 

 

それを言われた中3の僕は、将来食べていくことの難しさなど知る由もなく、でも今まで応援してくれた家族にそう言われたことで、なんとなく納得し、音楽家の道はいったん途絶えてしまった。 

 

皮肉にも僕が進んだ高校は第2志望の進学校で、普通科と音楽科のある高校に。 

 

吹奏楽部では音楽科と一緒になって練習し、レギュラーも争ってきました。そうしていく中で、自分と彼らを比較してしまい、「音楽に対する愛情や自信だけではその世界で生きていけないな」、と感じるようになり、家族の説得の意味がようやくそのときは理解できた。いや、理解したつもりになっていただけだ。 

 

それから大学進学。最初は音楽からは距離を置いて学問に集中しよう、と考えて勉強系のサークルに入ったが、周りの内気でオタク系の人間と波長が合わず、1週間で身を引いた。 

 

もちろん授業は周りがドン引きするくらいまじめに受けていたが、いかんせん時間があり余る大学生にとって、恋愛もアルバイトもやっていなかった僕にはなにかぽっかり空いた穴が心に残っていた。 

 

サークル勧誘期間も終わった4月末。無意識にサークル紹介本をあさり、週1回活動するサークルにメールで見学希望を出し、一切勧誘されることなく入部。これが僕の3番目の楽器、マンドリンとの出会いだった。 

 

マンドリンサークルでは、指揮者とコンサートマスターという首席奏者を務め、だいぶ目立った大学生活となった。 

 

終わってみれば、結局大学生活の時間の多くはサークルという音楽活動に注いでいた自分がそこにはいた。それでも僕は自分の気持ちに気づいていなかった。 

 

さて、就職。 

楽家という道を早くに閉ざした僕に残された道は大学で学んだ金融や経済を活かせる場所でした。半沢直樹に刺激され、大手銀行などを目指し受けた結果、ベンチャー気質のある今の金融機関にたどり着きました。大学のゼミの影響で、「日本経済を元気にするために自分がその現場で働く」という意気込みのもと突っ込んでいった。しかし、待ち受けていたのは半沢直樹のような営業現場ではなく、ただパソコンと向き合って企業について調べ審査するという固い現場。 

 

人に何かを発信することも少なく、誰かに感謝されることもなく、悶々と過ぎていく日々。 

気づけば毎日同じことの繰り返し。 

 

ただ、土日の休みは確保されていたので、ウクレレを始めてみるなどしてそれなりに自分で息抜きしているつもりだった。 

それでも日曜が終わるとまた無味乾燥な日々の始まり。このままでいいのかな、声にはできない不安が心の中に居座っていた。 

 

そんな日々の中で僕はひそかに心の奥で燃やし続けていたものがある。

 

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Story➁~サラリーマンが描く音楽人としての未来~

 

考えてみてほしい。

皆さんは音楽の流れてないショッピングセンター、お祭りに行ったことがあるだろうか。

 

いや、おそらくないだろう。

 

では、質問を変える。

皆さんの周りに、楽器が弾ける人はどれくらいいるだろうか。

 

そう、皆さんは無意識に音楽と隣り合わせの毎日なのにかかわらず、実際に演奏できる人は限られているのだ。

 

僕が変えたいのはこうした現状。

誰もが音楽を聴くだけでなく、触れて楽しめる社会に、音楽がコミュニケーションツールとなって世界中で人びとの笑顔のとなりには音楽がある、そんな未来をつくることだ。

 

まだまだ未知数の世界に思えるが、これを20年後には達成したい。そう、35歳になるまでに。足元では、7年後に国内で自身の音楽教室を開く。これが想像される音楽教室ではない。

子どもやお年寄りの家をまわる、訪問型の音楽教室だ。

これによって将来的には家事代行も担って人々の生活に密接にかかわる存在にする。

そうして音楽人口を増やしながら事業を海外へと展開、同志も募りながら明日を音楽で彩る日々はそう遠くないと信じている。